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工事所の紹介
本河内高部ダム建設工事
  ダムの概要 工事概要 最新の工事状況 工事経過写真 水の歴史  
水の歴史
江戸から明治にかけて人々の暮らしを支えた「倉田水樋」
長崎で最初の水道は、1673年(延宝元年)に完成した「倉田水樋」といわれています。倉田水樋は、本五島町の乙名倉田次郎右衛門吉重が町の飲料水、防火水の不足に心を痛め、私財を投じ7年の歳月をかけて完成したもので、一般生活用の水道としては当時の日本で22番目のものでした。
主管はヒノキや杉を使った木樋で、旧水天神宮裏の伊良林に水源をとり、中島川沿いの八播町から銅座町、そして大井手町から築町までの二幹線とし、町のはぼ中心にあたる38カ所に木樋を埋設。水は町の溜枡(貯水槽)に流れ、さらに下手に向かって配水されていました。この水道は本河内高部貯水池ができる1891年(明治24年)までの220年余り、長崎の人々の暮らしを支えていました。
倉田水樋 水樋主幹/陶管/倉田水樋の主水源に建てられた記念碑
明治24年には近代水道が完成。そして明治36年に本河内低部ダムが完成。
長崎は早くより海外との貿易による海外文化の流入により、文化水準の高い街でした。しかし同時に伝染病の流入も多く、長崎から全国へ広がって行きました。1885年(明治18年)、当時の長崎では“コレラ菌”が狂威を振るい、その原因を人々の衛生思想の欠如と不良飲料水とし、水道設備の必要性が提唱されました。このような時代背景の中、1891年(明治24年)に、横浜、函館に続きわが国で3番目の近代水道が完成。この時代に造られた本河内高部ダムは、水道専用ダムとしては日本初のものとなりました。
満々と水をたたえるその美しい景観は、当時流行歌ができるはど人々の人気を集め、新たな長埼名所の−つとなり、休日には整理券を発行するほどの賑わいを見せたといわれています。その後、市勢の発展、人口増加にともない拡張工事が進められ、1903年(明治36年)には本河内低部ダムが完成しました。
本河内低部ダム完成
日本初の水道専用ダム
本河内高部ダムは長崎県河川課に勤務する吉村長策の設計・監督により、明治22年4月着手。
明治24年3月には完成し、同年5月より給水を開始しました。堤体は普通土、精選土、粘土(心壁)に区分された構造をなしており表面には自然石張り、取水塔は煉瓦ブロックを積み上げ漏水対策にモルタル塗布を施すなど、すべて人力作業で行われた工事には、当時の高度な技術と職人技がうかがえます。
歴史探訪
ダムの文化財“幻の石橋”
本河内高部ダムの水底には“幻の石橋”が眠っています。
これはその昔、「妙相寺」道にあった石橋がダムづくりで水底に沈んだもので、ダムの水位が下がればその姿を現わします。
自然石を組み合わせたアーチ型の素朴な石橋は、江戸末期頃に地元住民の手によって架設されたといわれてます。
【昭和53年12月・長崎市指定文化財】
 
幻の石橋
幻の石橋
近代水道百選に選定
本河内高部ダムは、水道専用のダムとして建設された日本最古のものです。1985年[昭和60年]5月27日、近代水道百選に選ばれました。又、平成2年「歴史的ダム保全事業」に指定されました。




 
 
近代水道百選
近代水道百選
レトロ・モダンの鼓動
“匠のわざ”
本河内ダムでは、華やかな明治時代をしのばせる最先端技術を施した建造物に出合えます。
石造りの門柱、階段…
そこには時代を越え、当時を生きた人々の息吹きが今でも感じられます。
“レトロ・モダンの証人達”
歴史の鼓動が聴こえます。
配水池内部[本河内浄水場]
配水池内部[本河内浄水場]
取水塔
取水塔
既設堤体下流面
既設堤体下流面
長崎県長崎土木事務所提供  写真:長崎市水道局所蔵

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